タツミ誕生秘話

2020/03 特集

住器施工・金物販売二刀流でスタート

工業団地の入り口の看板の前で(山口現会長)

タツミは、1978年に新潟タツミ製販として創業。三条市東新保の間口1間の狭い家から始まりました。

創業当時は流し台や浄化槽、風呂などの住宅機器を仕入れて設置・施工し、住宅会社へ納める「施工販売」を行っていました。

その仕事振りをみて次第に信頼してもらえるようになり、徐々に取引先の会社から金物を製造する業務も任せてもらえるように。建築資材のアンカーボルトや羽子板型のボルトなどを作って納める日々を過ごします。気づけば、住宅機器と金物販売の2本柱で、小回りが利く何でも屋のような存在として働くようになっていました。

大阪OEMから金物に特化

タツミ製版の金物工場

二刀流で実績を伸ばしていたものの、1981年、贔屓にしてくれていた商店が倒産します。タツミには2,700万円ほどの債権が残り、独立を支援してくれた7社に支払い猶予として5年間待ってもらえるよう、頭を下げにまわります。

その後、住宅金融公庫指定金具製造工場認定で在来軸組工法用のZマーク金具を取得し、金物事業に専念。金具販売は大阪の金具会社を回り、タツミへ外注したほうが品質や価格におけるメリットが大きいことを伝え、OEM生産(相手先ブランドの生産)を始めることになりました。

住宅の柱と柱、土台と柱をつなぐ絶対的消耗品の金具は、軸組を構成する上で必要不可欠で今後利用量は絶対に増えると予想。徐々に規模を拡大していき、1982年5月に大阪営業所を開設、1983年1月には株式会社化し社名をタツミに変更しました。1985年ごろまでには全売上の80%を関西以西でまかなうほどとなり、年商も5年前の2憶から20憶になっていきました。

スーパーベース特許取得、タツミ飛躍

タツミ製版事務所での山口現会長(1979年)

タツミはさらに販路を拡大させていきます。次に主な取引先となったのは北海道の金物問屋。創業当初取引をしていたライバル社の会長が新潟県見附市出身で、木造軸組用の金具を受注するようになりました。

結果、大阪と北海道が主な拠点となり、売り上げの6割が大阪でのOEM製品、4割が北海道での自社ブランドの金物販売という分布に。その間に新しい商品と四国の業者からOEMで羽子板ボルトの販売を依頼された。その取引先が作っていたのが、住宅基礎鉄筋の「スーパーベース」。無筋で良かった住宅基礎が1985年に有筋に変わったところで、「今後は絶対この金具が必要になる」と東北6県と新潟の7県分の特許を取得。

軌道に乗るまでには半年程度かかったが、東北最大級の展示会で大工が関心を持ち、売れ行きは上昇。結果、1996年にはスーパーベースを専門に製造する合弁会社、株式会社タツミ富山を設立するまでになりました。